つれづれの極み。 -12ページ目
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自分の遺影。

例えば、今日、ふらっと買い物に出た帰りに車に轢かれて死んじゃうかもしれない訳で。
要は、人っていつ死ぬか分からないよね。それはもしかしたら何十年後のことかもしれないし、明日のことかもしれない。

でね。

病気とかで、そろそろ死にそう……死にそう……死にそう……死んだー!って場合はまぁ言ってみれば準備期間があるじゃない。でも、事故とかで突然死んじゃった場合はもぉイキナリ葬儀なのよ。
ちゃんと正面向いてキレイに写ってる写真なんて、周りの人がパッと用意できると思う?
あたしは、無理だな。だってあたし基本的にデジカメだから、写真のデータって全部マイPCの中に入っちゃってるんよ。最近キチンとフィルムカメラで自分が撮影された覚えもないし、かといって証明写真はやだし、そうなると下手したら子供時代の写真しか親は用意出来ないんじゃないの?って思うんだよねぇ。

だから、自分がいつ死んでもいいように、遺影用の写真をきちっと撮って来たるべき時に備えておかなきゃなぁと思うのです。

ブログってすごい!!

もぉ読者登録とかされてるし!すごいなぁ~。ブログってこんななんだ。
読んでる人がいると思うと頑張れるよね~。
ありがとうございます。恐縮ですわ。

うぇぶろぐ。

こないだ部屋の片付けをしていたら、高校時代に書きためていた詞がどちゃんこ出てきました。実は昔バンドを組んでましてね、その時の残骸といいますか。

読んでみるとやっぱり恥ずかしいな~っていうのもあったんだけど、それ以上に「昔あたしこんなこと考えてたんだ!」っていうある種のショック?的な感情をおぼえました。なんていうか感受性がもぉ豊かで豊かで。感じる10代ってコトバ通り、ホントに些細な日常の色んな出来事に対して心の針がびんびん振れてたんですよ。今では失ってしまった感性をあの頃はいっぱい持ってたんですね。

ショックの中身なんですが、一番は今の自分との落差ですかね。ホントに心がきれいなの。すんごいきれいなの。ほんっとに驚いた。

今の自分は勿論好きです。記憶の範囲では、高校の頃ってあんまり自分が好きじゃなかった気がするなー。でも、好きでいられる今の自分の下地には絶対に当時のあたしがあった訳で。普段はそんなこと考えもしないし昔の自分がそんなだったかなんて思い出しもしないけど、ピュアだった頃の自分にひとたび立ち返る機会を与えてくれた過去の自分には感謝したい。だってその詞を書いてなかったら、高校の時に自分が何考えてたかなんて想像付くけどそれも今の自分のモノサシではかってしまうから多分実際とは違うし、過去の自分にアクセスする手段は何もなかったと思うもん!

実際、それらの詞を読んでると書いてた時に何を考えてたかとか思い出せたりするんだー。読んでる途中で読めなくなったりする内容もあったけど(笑)。
未来の自分に読ませようなんて一切考えてなかっただろうけど、結果的にありがとう自分!


本題かえってこーい。

えと、そういうわけでね、今の自分が何を考えているかを書いておこうと思いました。些細なこと程いいと思ってるんだー。だってでっかいことなら普通に覚えてるでしょ?記憶の隅にとどまることもままならないような不安定な思い付きをここでは文字にしていこうと思います。
ということで、内容はその時思ったことです。何か思った時に書きます。私には左程文才はございません故オチはありません。起承転結もあるようなないようなでしょう。駄文だっていいじゃん。飾ってない言葉を使っていくんだから。単なる言い訳です。
コメント大歓迎。だってその為にブログにしたのにさぁ。何ひとつ反応のないブログなんて見る度に友達の少なさを実感してしまうのでやめて下さい(笑)。

素のベッキー(まぁいつも素だけどさぁ)というか、感情の深部にアクセスしたい人とか意外な一面を見たい人はまぁ読んでみてもいいんじゃないの?何だその言い方。ごめんなさい。誰かこんな私のちっちゃな試みにお付き合いして下さい。


すごい長くなっちゃった。次回からはさらっとね。
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